製造年:1993年
所属経歴のある会社:JR東日本
現在の状況:JR東日本・首都圏多数の路線
209系は、1993年に登場した直流通勤形電車です。
当時老朽化が進んでいた103系を置き換えるため、今までの技術を一新した設計思想が採用されました。VVVFインバータ制御車を初めて量産した形式であり、その後の鉄道車両の礎となりました。環境問題にも配慮した設計であり、「重量半分・価格半分・寿命半分」を合言葉にしています。209系は京浜東北・根岸線に本格投入され、長い間当路線の主力として活躍してきましたが、2010年2月に全編成が撤退、他線へ転属・廃車などの措置が取られました。
写真情報:2009/08/27
その他の写真
京浜東北・根岸線にのみ、6ドア車両が存在した。
写真情報:2009/04/30 浦和駅
6ドア車の車内。
写真情報:2010/01/17 大船駅
6ドア車の座席。
写真情報:2010/01/17 大船駅
南武線でも、209系0番台が活躍している。
新製配置は2編成だったが、うちナハ1編成は廃車となった。
写真情報:2005/05/01 武蔵小杉駅
こちらはナハ32編成。
南武線の初期配置はナハ1・32の2本のみだったが、
後に京浜東北・根岸線から3編成が2200番台に改造の上転属した。
写真情報:2007/07/21 分倍河原駅
八高線で走る3000番台。
半自動ドアスイッチが付いているのが特徴。
写真情報:2005/10/02 西川越〜的場間
こちらはりんかい線の70-000系から改造した3100番台。
丸いライトが209系列では独特である。
写真情報:2005/10/02 西川越〜的場間
E231系と209系の中間の存在である500番台。
元々は中央・総武緩行線のみの配置だったが、うち4本が京浜東北線に転属した。その後 京浜東北線からも再転属し、京葉線・武蔵野線でも姿が見られる。
写真情報:2010/11/14 秋葉原駅
京浜東北線で活躍していた209系500番台。
初期は80・81の2本だったが、後に82・83・84が転属。 最盛期は5本も走行していたが、E233系1000番台の導入により 京浜東北線からは撤退した。
※82・83・84は後述する900番台の置き換え用として転属した。
写真情報:2008/08/02 石川町駅
ミツ515編成は、転属せずに貸出されていたことが一時期あった。
黄色い三鷹の札のまま京浜東北線を走る姿を見ることができた。
写真情報:----/--/-- 新子安駅
京葉線で活躍する500番台。
スカートも大型のものに取り替えられた。
写真情報:2009/12/20 海浜幕張駅
こちらは常磐緩行線で活躍する1000番台。
地下鉄に対応した貫通扉を持ち、行き先表示機はLEDを装備。
2編成しか製作されていないので、希少である。
後のE231系800番台(地下鉄東西線直通用)の基礎になった。
写真情報:2009/08/23 柏駅 
209系の量産先行車として、209系900番台が存在する。旧形式は901系で、ウラ90・91・92の3編成が存在した。
それぞれ量産車とは異なる特徴がある。
1 6ドア車両の不存在
2 スカートの形状
3 号車番号札→量産車:黒地に白抜き/900番台:白地に青文字
写真の左が量産車、右が900番台である。
900番台はウラ90・91・92各編成ごとに特徴があった。
写真情報:2006/09/16 関内駅
ウラ90編成は、元901系A編成である。
車番は209-90Xで付けられており、川崎重工製。他の試作編成と比べて、1番量産車に近い外見を持っている。901系時代はVVVFインバータの音も特殊であったが、900番台に改番とほぼ同時期にVVVFは変更された。
写真情報:2006/09/16 関内駅
ウラ92編成は、元901系C編成である。
車番は209-92Xで付けられており、4・5号車が大船工場製で残りの車両は川崎重工製。大船工場製の4・5号車は窓にセンターピラーが付いているなど、旧B編成(ウラ91)と共通点を持つ。ウラ90とウラ91を足して2で割ったような、中途半端な印象があった。
写真情報:2006/08/23 西川口駅
ウラ92編成の4号車の様子。
奥の3号車と比べてみてもいくつかの相違点があるのが分かる。
写真情報:2006/12/02 
ウラ91編成は、元901系B編成である。
車番は209-91Xで付けられており、東急車輛製。
・外見の特徴としては、窓にセンターピラーが付いており2枚窓となっている点、行き先表示機が2両に1つとなっている点
・車内の特徴としては、蛍光灯の配置が線路に対して直角である点、座席とドア部分の仕切りの形の違う点
などが主に挙げられる。また、VVVFインバータの音も通常の209系とは異なっており、900番台の中でも異彩を放った車両であった。
写真情報:2005/05/21 関内駅
ウラ91編成の1号車の側面。
窓のセンターピラーは分かりづらいが、1号車に方向幕が無いのがよく分かる。
写真情報:2004/03/-- 根岸〜磯子間
900番台の1編成、ウラ90編成の疎開回送の様子。
サハ1両欠車の9両で運転された。
ウラ90編成は、予備車として最後まで残った900番台である。
写真情報:2007/08/30 北浦和〜与野間
こちらはウラ91編成の疎開回送の様子。
運用に入ったばかりのウラ84編成との併走にて、
京浜東北線の線路に別れを告げた。
この編成は前述の通り900番台の中でも異彩を放っていたため、
1番先に運用を離脱した。
写真情報:2006/12/26 田町駅
ウラ13編成の5号車の車番は特殊であり、プレートであった。
これは大船工場が車番を誤り、それに上書きしたためである。
写真情報:2007/12/08 浦和駅
一部の編成は、列番表示機がマグサインからLEDに変更された。
写真情報:2007/07/29
車内広告統一車にはHMが掲出されていた時期があった。
しかし209系晩年には、このHMは付けられなかった。
※同様のHMは、横浜線でも見ることができた。
写真情報:2005/07/16 新子安駅
車内広告統一車(ADトレイン)の車内。
登場当時は、全ての車内広告が同一であることが目新しかった。
写真情報:2003/11/01 桜木町駅
また、一部の編成に試験的にモニターが付けられたことがあった。
当初はウラ35編成の9・10号車のみだったが、後にウラ19編成の全ての車両にも付けられた模様。 いずれも試験終了と同時に撤去されており、モニターは長期間設置されることは無かった。
写真情報:2003/11/01 石川町駅
モニターを正面から見た様子。
画期的なものだったが、「手前につり革があるため見にくい」というのが率直な感想だった。
写真情報:2003/11/01 ウラ35編成車内
浦和駅高架化工事の際に北浦和〜大宮でのピストン輸送となった。
そのとき「京浜東北線」幕を見ることができた。
写真情報:2007/01/14 さいたま新都心駅
引退HMを付ける京浜東北・根岸線の209系。
イベント列車ではなく、撤退直前の1週間の間、最後まで残ったウラ52編成に記念HMを付ける形で有終の美を飾った。
※2010年1月24日に京浜東北・根岸線から209系が撤退した。
写真情報:2010/01/17
引退HMのアップ。
写真情報:2010/01/21 大船駅
長野へと廃車回送される209系ウラ64編成。
この編成は、ウラ52編成と共に最後の1週間まで残った。
写真情報:2010/02/02 豊田〜日野
長野へと廃車回送された後、4・6両に編成を組み替えられ、疎開された。 写真の編成は北長野駅に疎開されており、妙高号の車窓から見えたものである。
写真情報:2010/03/23 北長野駅
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